この記事は、不登校の子どもと関わる次の3人の大人に向けて書きました。
- 不登校の子どもの将来が心配
- 登校させられない自分を責めてしまう
- 不登校の子どもはかわいそうだと思う
不登校の子どもの気持ちはなかなか理解しづらいです。
僕も以前、不登校の理解に苦しんでいたことがあります。
高校教員をしていた時、学級の生徒が不登校になりました。
その生徒は前触れもなく学校に来なくなりました。
家庭に電話をしても本人と話ができません。
その子の親に聞いても原因が分かりません。
僕は、「不登校になったのは担任の自分に責任があるのかもしれない」
「いじめがあったのでは…」と疑ってみたり、同僚に相談したりしました。
しかし、結局原因は分かりませんでした。
実は「不登校になる原因」は、今でも僕はよく分かりません。
原因は特定できないくらい無限にあると思うからです。
でも、不登校の子どもの苦しみは少しは分かります。
僕にも似たような経験があるからです。
不登校の子どもの気持ちが分かるようになったきっかけは教員7年目のこと、僕自身の「不登校」体験です。
この記事では僕自身の「不登校」体験をお話しする中で、大人の関わり方を模索します。
不登校の子どもの気持ちが分からず悩んでいるあなたが、少しでも前向きな気持ちになってくだされば幸いです。
この記事の目次
不登校は大人の捉え方に問題がある
不登校は問題行動ではありません。
大人の捉え方に問題があります。
「学校に行けないのはどこかおかしい」
「本人の甘えだ」
という考え方が社会の中で根強く残っています。
学校教育の中でも、つい最近まで不登校のことを「問題行動」と呼んできました。
大人の側では、「学校に行くのが当然」という見方が大半です。
行けないことが問題行動になり、学校に行けないのはかわいそうなことだと思ってしまいます。
一方、子どもたちも大人の影響を強く受けています。
学校に行けない子どもたちは、「『不』登校」というレッテルに傷ついています。
「行くことが当然」という観念が刷り込まれているから、行けない自分を責めています。
学校に行けないことをめぐって大人の無理解が子供たちを苦しめます。
恥ずかしいことに、僕自身も教員をしていた頃は学校に行けない子どもたちの気持ちを何も分かっていませんでした。
でも、7年目の挫折体験で考えが大きく変わりました。
教員7年目での「不登校」体験
学校に行けない不登校の子どもの気持ちが僕は少しだけ分かります。
僕自身が教員の元「不登校」だったからです。
教員になって7年目の経験です。
ある出来事がきっかけで、教員をしていることの意味が分からなくなってしまいました。
出勤する時に激しい頭痛が起こり始めました。
学校に行こうとしても思うように身体が動きません。
学校という場所が怖くてたまりません。
わけもなく涙が出てきます。
学校に行けなくなってしまった僕は、心療内科に行きました。
そこで適応障害と診断され、診断書を書いてもらい休職することになりました。
休職して楽になったかというと、全くそうではありませんでした。
昼間は良くても夜になると発作的に飛び起きたり、大泣きしたりしました。
学校に行けない自分が情けなく、完全に自信を失いました。
結婚していたので働けない焦りや将来への不安もありました。
それは出口の見えない暗闇でした。
ノートが僕を救った
学校に行けない自分を受け入れられるようになったのはノートを書くようになってからです。
一日の行動、思っていること、読んだ本の感想などいろんなことを書きました。
そのうちに気持ちがふっと軽くなりました。
すると、頭が働くようになってきました。
僕は学校に息苦しさを感じていたので、「学校教育の意味」についてよく書きました。
「学校はどんな場所なのか」
「学校の息苦しさとは」
「学校で学ぶことの意味は」
こんなことを徹底的に書いていたらノート7冊分になっていました。
不登校の子どもと関わる上で意識してほしい3つのこと
今では、学校に行けなかった当時のことを振り返って書くことができます。
つらかった経験は負債ではありません。
財産となっています。
真剣に学校のことについて考えたからであり、自己理解が深まったからです。
学校に行けなかった僕が感じていた苦しさは、不登校の子どもにも通じると思います。
そこで、子どもと関わる上で、あなたに意識してほしいお願いがあります。
次の3つです。
- 学校に行けないことを本人以上に悲しまない。
- 学校に通うのが当たり前の時代ではない。
- 学校の先生には不登校を解決できない。
あなたが、s学校に行けない子どもと関わるヒントになれば幸いです。
①学校に行けないことを本人以上に悲しまない。
学校に行けないことで一番苦しんでいるのは本人です。
周りの大人が本人に代わって苦しんであげることはできません。
学校に行けない子どもが一番見たくないのは周りの大人が悲しんでいる顔です。
ただでさえ自分自身のことで精いっぱいで混乱しています。
だから大人が悲しんでいると悩みが倍増してしまいます。
学校に行けないことはこれからの時代、不幸なことではありません。
そう思えるためには知恵を振り絞って、学校に行かなくても学べる場所を子どもと探しましょう。
②学校に通うのが当たり前の時代ではない。
世界規模で見ると、学校や会社に毎日通うことが当たり前ではなくなりました。
日本もこれから同じような状況に変わっていきます。
これまでの「当たり前」の基準が崩れています。
世界にはネット環境があれば通える大学があります。
いつでもどこでも講義を受けることができます。
学生たちは大学に行っていない間、好きなことに時間を使えます。
起業しながら通っている学生もいます。
学校だけだとすべての時間とエネルギーを学校の勉強に奪われます。
学校に行けなければ、「余った時間をどう使うのか」がとても大事です。
③学校の先生には不登校を解決できない。
学校の先生は「学校に来てね」としか言えません。
本音では学校に来ないほうが本人のためだと思っているかもしれません。
でも、「来ても来なくてもいいよ」とは立場上、絶対に言えません。
だから、学校の先生は基本的に「どうやって学校に行かせるか」というアイディアしかくれません。
子どもにとっては「行く」選択肢しか残されないのです。
どうしても行けない子にとってはつらいだけです。
不登校の子どもの味方になってあげられるのはあなたしかいない
不登校は学校に戻ることを前提に考えると、とたんに選択の幅が狭まります。
これまで書いたように学校は絶対に行かなければならない場所ではありません。
学校に行くのか行かないのかは本人の選択次第です。
学ぶ場所を学校に限定しなければ、いろんな方法が見えてきます。
子どもがどうしても学校に行きたがらないのなら、「学校に行っても行かなくてもいいよ」と優しく受け止めてあげられる度量が必要です。
それはもちろん、勇気の要ることだと思います。
「この子の将来どうなってしまうのか」と悩むことと思います。
でも、一人で悩まないことです。
子どもの立場になって考えられる、信頼できる仲間を探してください。
僕がその仲間になれるなら光栄です。
あなたと子どもの将来が明かるいものであることを祈って筆をおきたいと思います。
以上、「学校に行けない子どもの接し方が分からないあなたへ伝えたい。教員7年目で『不登校』を経験した僕が考える3つの関わり方。」でした。