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休職を乗り越えた高校教員の僕が、「教員を辞めプロコーチになる!」と決意したわけ

教員辞めてコーチになったのは人の夢を応援したいから

はじめまして、達朗です。

僕は公立高校の元英語教師です。

大好きだった仕事で適応障害になり、休職してしまい人生に絶望しました。

だけどコーチングと出会い、本当の自分に気づくことで、絶対に解決できないと思っていた適応障害をすんなり解決して、今はやりたいことをやって仕事を始めています。

今回は、

  • コーチングを知るまでの経緯
  • どうして公務員を辞めてプロコーチになったのか
  • 現在のビジョン&今後の展開

などについて書きます。

この記事の目次

英語好き青年、教員になる。

僕は県立高校で7年間、英語の教員(教諭)をやっていました。

中学時代からの英語好きで大学院までずーっと英語漬けの生活でした。

教員時代には県から推薦されて留学も経験させてもらいました。

留学を生徒が送り出してくれた

だから、英語力には少し自信があります。

大学時代には学内のスピーチコンテストで優勝。

大学院時代には何となく英検1級を受けてみたら一発合格。

二次試験(口頭試問)では特別賞ももらいました。

これを見た周りの院生がざわついたくらいです。

その勢いで公立高校の採用試験も合格。

無事教員になれました!

ここまで読んだ方は順風満帆な人生を歩んできたように見えるでしょうか?

全くそんなことはありません!

大きな挫折を経験しました。

教員7年目の大きな挫折:3校目で職場に行けなくなる!

僕には休職経験があります。

3校目に勤めた高校で適応障害になりました。

3校目は教育困難校。

生徒対応や教員の役割などが以前の学校とは全く違っていました。

毎日事件が起こったり、自分が常識だと思ってきた事が通用しなかったり。

しかし、いろんなことに違和感を抱きながらも耐えていました。

するとある日、授業をしている時に涙が出てきました。

生徒にはギリギリバレませんでしたが。

とにかくいろんな事がこみ上げてきて情けなくて泣けてきたのです。

その後もなんとか働き続けてました。

でも、ある日を境に激しい頭痛が起こり職場に行けなくなりました。

心療内科に行ってみると、「適応障害」だとのこと。

その名の通り、職場の環境に適応するのが困難な症状です。

激しい頭痛が起こったり、夜中にわけもなく泣いたり喚いたり。

悪夢もよく見てうなされました。

寝ている時が特にダメでしたね。

しょっちゅう飛び起きていました!

「人間ってこんなに変になるんだ」って、自分でも驚きました!

僕を見た妻はよくこんなことを言いました。

「もうこんなに苦しんでいる姿見たくない!」

僕たちはまだ新婚だったので当然ですよね。

妻もしんどかったと思います。

暗い話になってしまってすみません!

このように散々苦しんだ僕ですが、今では完全に克服して当時の事を笑い話にできています!

なぜかというと…

休職中に自分と向き合えたことと、コーチングとの出会いがあったからです。

でも、病院には頼りませんでした!

医師との面談が5分!?治るわけないよ!それなら自分でなんとかするしかない!

僕の場合、医者に頼らずに自分を治していきました。

薬も飲むと依存体質になっていくし、根本的な解決にはならないと分かっていたので飲みませんでした。

「普通は医者の言う通りにするのが当然でしょ!?なぜ?」と思われたかもしれません。

しかも、患者って普通カウンセリングとかを受けるイメージがありますよね。

僕は受けられませんでした。

なぜか?

心療内科が混み過ぎていたからです。

2つの心療内科に通いましたが、どちらもいつも満員状態。

「心を病んでいる人、こんなに多いんだ。」

と思いました。

カウンセリングもいつも予約が埋まっていて慢性的な空き待ち状態でした。

1つ目の病院では、早くても3ヶ月後。

2つ目の病院に関しては、抱えている患者が克服するまで空きができず未定。

つまり「いつ受けられるかわからない」ということです。

だからカウンセリングを受けることを断念しました。

その代わり医者のとの面談はありました。

懇切丁寧な指導が受けられたのか?

全く!

面談時間がたったの5分だったからです。

そんなので治るわけがありません!

病院はキャパを超える患者を抱えていました。

だから一人一人に時間を割いていられません。

これはある意味仕方ありませんでした。

医者もカウンセリングも薬も頼れない!

じゃあ…

自分で治すしかない!

となったのも必然でした。

休職中に自分と向き合って分かったこと:「無理」「我慢」のリスク

休職中、ある程度体調が戻ってくると職場復帰を考え始めました。

でも、すぐに復職できるわけではありません。

今までと同じ考え方のまま職場に戻ったら前の辛い状態に逆戻りしてしまうのは目に見えていました。

「ちょっと良くなったとしても、復職したらまたすぐにダメになってしまう。

中途半端に戻っても絶対に周りに迷惑かけるな。

なんとか克服しなくては!」

と常に思っていました。

そもそも僕が倒れた原因は?無理をして本音をごまかし続けたから

自分が倒れた原因を僕なりに考えました。

とてもシンプルな結論になりました。

「本音をごまかして『無理』をしたり『我慢』をしたから

本音というのは絶対にごまかせない。

ごまかしちゃいけないんだ!」

僕がこうやって気づけたのは、32歳になってからです。

ちょっと遅いでしょうか?

でも、「無理」や「我慢」のしんどさを心の底から味わえたのは今となってはいい経験だったと思ってます!

僕の気づいた「無理」や「我慢」とは?

僕が気づいた「無理」や「我慢」とはなんだったのか。

思いつくかぎりざっとまとめてみました。

  • 何事につけ嫌なことにもニコニコと笑って対応していた。
    →周りからは「我慢強い」とか「何を言っても絶対に文句を言わない」と言われるように。
    →内面と外面の印象のギャップがかなり苦しかった。
  • 「自分くらいの無理は周りも当然のようにやっている」と思っていた。
    →「やれなかったら教員失格」と完璧主義だった。
  • 「生徒のために頑張る」と言い聞かせていた。
    →自分が辛くてもやせ我慢した。人に見せなかった。
    →自分にストイックだった。
  • 「若いからこれくらいやって当たり前」という空気を感じた。
    →「周囲の期待に応えなきゃ」と頑張る自分がいた。
    →そんな自分に酔っていた。
  • 深夜勤務、部活動、補習の休日出勤、持ち帰り仕事は当たり前だった。
    →甘えは禁物。
    →先輩教員も昔はこれくらいやってきた、と割り切っていた。

休職する前にも何度か次のように思ったことがあります。

「こんな無理、定年までは絶対に続かないだろうな。」

俺は定年まで働くことなんてできるんだろうか…」

と不安になりました。

でもそのたびに、

「そうは言ってもこの仕事を選んだ以上、定年まで働かないといけない。

教育という責任ある仕事を投げ出してはいけない!」

などと、湧いてくる気持ちを打ち消していました。

適応障害は「無理」「我慢」が利かなくなった状態でした

気持ちを打ち消すことも我慢になります。

我慢に我慢を重ねている状態です。

でも、我慢には限度がありますよね。

僕の場合、「適応障害」という形で我慢の限界をむかえました。

我慢が身体の不調となって現れたのです。

このように、倒れた原因が少しずつ見えてきました。

すると少しだけ気が楽になりました。

でも、それが分かったところですぐに良くなるわけではありませんよね。

依然として体調が良くなったり悪くなったりを繰り返していました。

コーチングとの出会い:書店で「夢を叶える本」を発見!

変わる転機となったのがコーチングとの出会いです。

僕は、「自分を変えたい!」と必死だったので、本にヒントを求め、毎日のように書店通いを続けました。

でも、教員向けの本ばかり読んでいても行き詰ってしまいます。

今まで読んだことのない分野の本も読むようにしていました。

するとある日、書店で『立ち読みしなさい!』というタイトルの本を発見!

この本は、苫米地英人さんの書いた「夢の叶え方入門」とも言える本です。

この本の冒頭にはでかでかと筆で書いたような言葉が載っていました。

あなたの瞳はこどもの頃のようにキラキラ輝いていますか?

その時の僕はとてもじゃないけど、子どものように瞳が輝いている状態ではありませんでした。

だから余計にこの本に書いてある事が気になりました!

そして、

「この本の通りにやれば自分の問題が解決できそうな気がする!」

「コーチングをマスターすれば復職もできそうだし、復職した後もやっていける!」

こう確信しました。

これを機に苫米地さんの本を読むように。

コーチングへの興味もますます湧いてきました。

コーチングを知ってわずか2週間後。コーチングスクールへの申し込みを済ます!

コーチングの本を読み始めるようになって1週間くらいが過ぎました。

「コーチングってすごい!

理屈も完璧。

論理的・科学的に説明がつくし、これは間違いなく真実が書かれている!」

という思いがどんどん強まっていきました。

でも、苫米地さんの本は、にわかには信じがたい言葉のオンパレードでした。

「ゴールは達成したものと思え!」とか「時間は未来から流れている!」など。

「これは、へたしたら誤読してしまう。

誰かに教えてもらわないと大きな回り道をしてしまいそう。

悠長なことをしていたら復職もますます遠ざかってしまうな。」

こう考えた僕は、直感的に

「スクールに通うしかない!」

と思いました。

そしてすぐに行動に移し、スクールの申し込みを決めました!

コーチングを知ってからスクール申し込みまではわずか2週間くらい。

僕は自分を変えられるものを貪欲に求めていたので全く迷いはありませんでした!

コーチと初対面:コーチングの魅力を実感

スクールへの申し込みは即OK!…

ではありませんでした。

Skypeで10分間の面接。

その後、コーチが許可した者のみがスクールに入れる、という条件でした。

でも、僕はSkypeではなく、コーチと直接会うことにしました!

コーチングの魅力を間近で感じたかったのと、伝えたい想いが山ほどあったからです!

岐阜駅のスタバでの面接でした。

試験されているというよりは、話を聞いてもらっているような感覚でした。

結果、10分のはずが、

なんと1時間以上話をしていました。

すると、エフィカシー(前向きな気持ち)がどんどん高まっていくのが分かりました。

終わった頃に僕はすっかり元気な状態に。

「あれ、自分の考えていることを話せて元気になってる!

前向きになれてなんか魔法にかけられたみたい!

やっぱりコーチングをマスターしたい!」

と感じました。

その日は、別れ際にそのコーチに「楽しかったです!」と言って笑顔で別れを告げました。

休職してから「全然」と言っていいほど楽しいことがなかった僕。

だから、この時に発した自分の言葉に自分自身で驚きました!

ゴールが「職場復帰」から「プロコーチになる!」に変わる

スクールの入会許可をもらってから初回のスクールまでは、

「ゴールを決める」という課題が出ました。

その時のゴールは「職場復帰」。

でも、スクールのコーチからは「ゴールは現状の外に設定してもいいし、変わってもいいですよ!」と言われたので、

「職場復帰」にこだわりすぎず、とにかく現状を変えていくことにしました。

コーチングを学ぶことで起こった僕の中の変化

コーチングを身に付けていくことで何が変わったでしょうか?

僕の場合は、どんどん元気になっていきました!

コーチングであまり過去を気にしなくなりました。

これから何ができるか、という未来志向に変わっていきました!

正確にはコーチングで元気になったというより、

「自分を制限していたものから自由になっていった」

と言ったほうがいいかもしれません。

教員の肩書や縛り、本音を押し殺し続けてきた我慢、「適応障害は病気だ」というレッテル…

などいろいろなもののせいで自由を失っていることに気づきました。

そして、

「今までどれだけ自分の能力を制限されてきたんだ!」

と思いました。

その頃、ゴールも変わっていました。

「プロコーチになりたい!」

こう思うようになったのも自然な流れでした。

ただし、教育にはやはり強い関心があります。

そこで教育と関わりながらプロコーチになることを決意しました。

当初のゴールであった「復職」よりもプロコーチになる方がワクワクしてきました。

「あれもこれも挑戦してみたい!」という気力が湧いてきたからです。

なぜ安定している公務員を捨ててまで、プロコーチなろうと思ったのでしょう?

それは、「教師にはコーチングが必要だ」と確信したからです!

次にその理由を書きます。

教師にコーチングが必要なのは、教師自身と生徒のため

教師にコーチングが必要な理由

それは、

  1. 教師自身のため
  2. 生徒のため

です。

コーチングの理解を深めるほどにこの確信は強くなってきています。

1教師自身のためにコーチングが必要な2つの理由

教師にコーチングが必要な理由は2つあります。

  1. 教師が夢を持ち、実現できるようにするため
  2. 教師が本来持っている能力を引き出すため

1夢を持ち、実現できるようにするため

こう思うのは、僕自身の経験の影響が大きいです。

教師はいろんなことで我慢や無理を強いられています。

僕自身が経験した我慢や無理は特別なことじゃないと思っています。

日本中の教師にとって我慢は日常。

だから本当はやりたいことがあっても本音をごまかして我慢をしてしまう。

我慢が限界を迎えて、僕のように体調を崩す人もいます。

教師が夢を持てず、元気をなくしています。

教師になった人は誰もが生徒の夢を応援したくてなったはず。

でも、教師が夢を持てていなかったら、生徒の夢を応援すると言ってもどこか嘘くさくなってしまいます。

教師が犠牲になって生徒の夢を応援することなんてできません。

僕はこう思います。

「教師自身がコーチングを使って自分が本当にやりたいこと(Want to)を発見してほしい!

多くの教師が「夢を持っていいんだ、夢を持って当然だ!」となってくれれば最高です!」

2教師の持っている本来の能力を引き出すため

人は本当にやりたいこと(Want to)に従って生きると、自分でも考えられないような能力を発揮できます。

「火事場の馬鹿力」という言葉があります。

火事になると信じられない力を発揮するというのは、人間は自分が思っている以上の力を秘めている証拠です。

ということは普段は、余力を残している状態だと言えます。

創造力も同じです。

何かのきっかけさえ与えれば、本人が想像している以上のことを成し遂げる力が人間には眠っています。

コーチングでは、want to に沿ったゴールを設定することで本来持っている能力を引き出していきます。

2生徒のためにコーチングが必要な理由

生徒のためにコーチングが必要な理由は教員と同じです。

教員が夢を持ち、能力を発揮できるようになれば、自然とその波及効果が生徒にも及びます。

教員の「うまくいった」という成功体験は、生徒にも必ず教えたくなるからです。

でも、世の中の議論の多くは発想が逆です。

教員自身が変わろうとするよりも、生徒を変えようという発想に陥りがちです。

そのため生徒は教員の思うように変わってくれません。

教員の努力が報われなかったり、生徒の反発を受けたりというケースが多いです。

生徒の前に、教員自身!

教員が変化すれば生徒も変わります!

僕がどうしても教員向けにコーチをやりたいのは、学校の教員が「生徒の夢をつぶす存在」だと言われているのが元教員としてかなり悔しいから!

実はコーチング業界では、学校教員の評判が良くないです。

苫米地さんの本にはよく、「学校の教員は生徒にとってのドリームキラー」だと書かれています。

ドリームキラーというのは、人の夢実現を邪魔する存在です。

これに対しては、「ドリームキラーとは何事か!」と強い反発の気持ちが湧く人も多いと思います。

僕も同じ気持ちです。

「生徒のために」と身を粉にして働いてきた者としては正直かなり悔しいです。

でも、教員は生徒の夢を応援するために教員になったはずです。

だから「生徒の夢をつぶしてしまっている」という意見は傾聴すべきだと思います。

どれだけ生徒のために熱心に働いても、知らないうちに生徒の夢を潰してしまっていることだってあるんです。

どういうことか?

例えばある生徒がお笑いが大好きで、

「先生、僕芸人になりたいんです」と本気で相談してきたとします。

ほとんどの教員は「将来芸人では食えないからやめとけ!」と反対すると思います。

未来を案じての賢明なアドバイスだと思います。

でも、こういうことがドリームキラーになります。

人間は心の底から好きなことなら「火事場の馬鹿力」を発揮できます。

その生徒は、もしかしたら芸人にはなれないかもしれません。

それでも、お笑いの周辺の仕事について高い能力を発揮していける可能性は高いです。

でも、もしこの生徒が教員のアドバイスに従って安定志向になったら?

本当に心の底から愛せる道へと進めなかったら?

教員がその生徒の才能の芽を摘んでしまったことになります。

子どもは敏感なので、自分の夢を潰していく存在にはいずれ近付かないようになっていきます。

そんなことにならないように、教員は生徒の夢を応援できる存在ドリームサポーター)になるべきです!

そのためには、

生徒の前に教員自身!

教員自身がコーチングマインドを身に付けて自分自身の夢を実現させるのが最優先!

と思います。

なぜ復職して現場で生徒にコーチングを教えないのか?

なんで達朗自身が現場に戻って生徒にコーチングを教えないの?

という質問があると思います。

それにはこう答えます。

コーチングをより多くの人に広めたいから!

僕が現場に戻って生徒に教えるとしたら、多くても毎年40人の生徒にしかコーチングを教えることができません。

でも、教員にコーチングを広めれば、それぞれが40人の生徒にコーチングを教えられます。

後者の方がコーチングを爆発的に普及させられますよね。

なぜ学校にコーチングを広めることが急務なのか?

この質問にはこう答えます。

教員も生徒も制限している能力を早く開花させた方がいいから!

最近人工知能が話題です。

いずれ人の仕事を奪ってしまうんではないかと。

でも、好きなことで無限の可能性を見出していけば人間が人工知能に負けることはありません。

コーチングを使って本当にやりたいことをすれば「火事場の馬鹿力」が発揮できますから。

しかし、平均的な能力を持った人間はどんどん淘汰されていってしまいます。

これまでの学校は、いろんなことをまんべんなくできる生徒を「優等生」として扱ってきました。

でも、いろんなことをできるようになるためには?

嫌いなことや不得意なことも我慢し続けなければならない、ということです!

コーチングでは我慢して嫌々やることをHave toと呼んでいます。

Have toは才能を大幅に制限していると見ます。

だから、平均的な能力を持った人間を育てようとすると必ずHave toの発想をした人間になっていきます。

以上を踏まえて僕はこう考えます。

学校教員は嫌いな科目を好きにさせて平均的な人間を育てるのではなくて、生徒が好きなことを見出して才能を開花させていく方向へシフトした方がいい!

ただし、これには前提があります。

何度も言いますが、

教員の夢を犠牲にしたシフトはあり得ない!

ということです。

僕がコーチになろうと決断した時、周りからは大反対されたけど、どうやって乗り越えたの?

新しいことをやろうとすると批判はつきものです。

僕も教員専門のコーチになると決断した時も、周りからは大反対されました。

一番反対してきたのは両親です。

行く末を案じての反対だと思って感謝しています。

両親からは2つ理由で反対されました。

  1. 公務員を辞めれば不安定になる。
  2. 休職していた者が教員向けのコーチなんて務まるのか。

ということです。

確かに批判は辛いものですが、僕の決意は全く揺らぎませんでした。

これもコーチングマインドを使えていたからです。

これらの批判に対して僕がどう考えたのかを書きます。

1「公務員を辞めれば不安定になる。」という批判について

両親からは、公務員を辞めてリスクを取るなんて頭がおかしくなったんじゃないか、と思われたかもしれません。

でも、僕は教育にコーチングが必要だというのは確信しています。

コーチングに出逢うことで、「復職」から「プロコーチになってコーチング普及」まで一気にゴール更新されました。

教員の時には、嫌な仕事も我慢や無理をして嫌々働いていた部分があります。

仕事をこなす」というHave toの発想になっていました。

でも、プロコーチになればいくらでも自分で仕事を創っていけます」

Want toに基づいた仕事ができます。

目先の金銭は確かに減るかもしれません。

でも、自分で価値を創造していけば長期的に見て、こっちの方が稼げる可能性だってあるし、

好きなことで才能を磨いていけば自分にとって間違いなくプラスになります。

2「休職していた者が教員向けのコーチなんて務まるのか。」という批判について

これについては、

休職して適応障害を乗り越えたからこそプロコーチが務まるんだ!

と考えています。

プロコーチは誰よりも広い視野を持つ必要があります。

コーチングでは、一つ上の視点から物事を俯瞰することを抽象度が高いと言います。

僕の休職経験は、「無理」や「我慢」についての抽象度をひとつ上に上げてくれました。

僕は、自分自身の経験から教員の「無理」「我慢」がよく分かっています。

そして、「無理」「我慢」がどれだけ教員の才能を潰し、身体を蝕んでいるかを熟知しています。

これが生徒の夢を潰す遠因になっていることも。

だから、この経験はプラスとしか考えていません!

生徒の夢を潰してしまうことについての記事はこちらです。

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批判に耐えられたのは、夢を応援してくれる存在がいたから。僕もプロコーチとして夢を応援する存在でありたい!

批判に対して揺るがなかったのは、夢を応援してくれる人がいてくれたからです。

コーチングでは、夢を応援してくれる人のことをドリームサポーターと言います。

現状を飛び出そうとする時にドリームサポーターの後押しが強力な力となってくれます。

僕が批判されて一番苦しい状態だった時には、背中を押してくれたドリームサポーターが3人いました。

まず、僕のお世話になったコーチ。

経験ゼロの状態からプロコーチになり大活躍している先行者。

スクールや日頃のサポートでも僕の決断を尊重して、常に背中を押してくれていました。

疑問への回答も、励ましメッセージも動画で即対応してくれました。

「自分の決断は間違っていないんだ」と前向きな気持ちになれたのはそのコーチのおかげです。

2人目は義父です。

結婚して1年も経たずに公務員を辞めるというあり得ない選択をする婿を許して、僕の可能性を信じてくれました。

普通なら激怒されても仕方ない状況にありながら応援してくれるというのはありえないことだと思います。

「教員を辞めてコーチになる」と言った日に、義父はサプライズプレゼントも用意してくれました。

僕が知らない間に、四柱推命の占いを依頼して鑑定結果を送ってくれたのです。

その内容は、コーチになることを肯定してくれるものでした。

生涯忘れられない出来事になりました!

3人目は妻です。

この3人のおかげで僕はプロコーチになる決意がさらに強固になりました。

現状の外に飛び出すとき、ドリームサポーターがいれば前進できる!

3人のように、今度は自分が夢応援のドリームサポーターになる番です!

 ここまで読んでくださってありがとうございました!
質問や相談したいことなどぜひお寄せください。

読んで丁寧にお返事させていただきます。

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