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働き方改革じゃなくて、学校に必要なのは価値観の更新。変化の速い時代に学校で働くあなたと共に考えておきたい教育者の在り方


こんにちは、達朗です。

世間では、働き方改革が叫ばれています。
議論されている中身のほとんどは、働く時間を減らすことです。

教育には人手と時間がかかるので、教員にとって時間のゆとりができるのは素晴らしいことです。
精神的な余裕も生まれます。

一方、社会は学校の変化よりも速く、劇的に変わってきています。

あなたも急速な変化に対して敏感な方ではないでしょうか。

社会の変化は子どもが一番敏感に感じ取っています。

例えば、今は不登校が増え続けています。

学校に「行けない」子どもがいる一方、
「学校に行っても人生は良くならない」
「あえて行かない」という子どももいます。

社会の変化に合わせて学校も変えていかなければ、「学校教育が選ばれなくなる」未来は来ます。
あなたも、もしかしたら同じ危機感を持っているかもしれません。

そこで今回は、変化の速い時代の学校で働くあなたと一緒に考えておきたい教育者の在り方について書きます。

この記事の目次

価値観の大転換が起き、「安定」の定義が変わった。今まで学校で大事にされてきた価値観が無力化してきている。


学校では、「できるだけ安定した職業に就きなさい」と教えます。

僕も教員だった頃は、安定が大事だと思っていました。
その時に考えていたのは、「変化が少ないものほど安定している」と考えて実際に生徒にアドバイスをしていました。

たとえば、
「フリーターより正社員」
「中小企業より大企業」
「国立より私立」
すべて「安定感」を信じているからこそ出てくるアドバイスです。

一方今は、「安定だ」とかつて信じられてきたものが、安定していないことが明らかになってきました。

大企業に就職しても一生安泰ではない

 

少し前までは大企業に就職できれば一生安泰でした。
特にメガバンクなんかは安定したイメージが強いです。

以前の就職先人気企業ランキングでは

1位「みずほファイナンシャルグループ」

2位「三菱東京UFJ銀行(現 三菱UFJ銀行)」

5位「三井住友銀行」

などメガバンクが上位にランクインしていました。(ヒューマンデザイン総合研究所より)

ところが、今や3行合わせて3万人規模のリストラが予定されています。

(メガバンクの「大リストラ計画」で余った人材はどこへ行くのか 銀行以外でも他人事ではないより)


このように大企業に就職しても安泰ではありません。
では高度な専門知識を持つ専門職はどうでしょうか?

一生安泰なんでしょうか?

医者や弁護士などの高度な専門職も安泰ではない。


難関の国家資格があるような職業なら一生安泰ではないでしょうか。
実はそうとも言えないようです。
医師や弁護士などの専門職でも一生安泰ということは言えなくなっています。

専門職には厳密な専門知識が求められます。
知識は厳密さを求めるとマニュアル化ができます。

すると今ではAIによって誰でも再現可能なものになります。
専門的知識の価値が下がっていきます。

これを「コモディティー化」と言います。

AIの性能が高度化すれば「コモディティー化」は急速に進みます。
だから難関試験に突破して専門職に就いたとしても、その分野の専門知識しかない状況は避けた方がいいです。

実は教育分野でも、コモディティー化はすでに起こっています。
AIによって民間企業の教育分野への参入が進んでおり、今後加速する可能性があります。

教えることは教員の専売特許でした。
でもAIによって、教育のトレーニングを受けていない人でも教育分野へ参入できるようになってしまいます。

学校にいると社会の変化が見えづらく、「一生安泰」なものがあると信じ込みやすくなる


さきほど書いたように、今は安定の定義が変わりました。
「定年まで1つの職場で務める」という価値観も崩れています。

僕自身は教員を辞めて、起業後、教育ベンチャー企業に転職しました。
「この職場に初めて就職しました」という人は限りなくゼロに近いです。

そして、「ずっとこの職場で働いていたいです」という人はほぼいません。
小さい企業でも社会の変化は感じられます。

学校はどうでしょう。
「一生安泰」を求める人が多いですか。
それとも教職をキャリアアップのきっかけととらえている人が多いですか

僕が高校教員をしていた頃は「このまま定年まで続けれればいいかな」と自分自身も思っていたし、同僚で転職した人は皆無でした。

その時の僕は、公務員で毎月一定額のお給料をいただき、毎年上がっていきました。
「この先も今と同じようにお給料がもらえるんだろうな」という発想から抜けられませんでした。
学校の教員をしていると「一生安泰」という言葉がしっくりきてしまいます。

あなたはきっと違うでしょう。

でも、「『一生安定したものがある』という態度で生徒に接してしまっていないだろうか。」
と時々自問してみることは大事ではないでしょうか。

「いい学校」→「いい企業」→「一生安泰」というシンプルな人生の成功ストーリーでは子どもの心は動かない。


「有名な学校」➡「︎大企業」➡「︎一生安泰」という単純なエスカレーターはもう成り立ちません。
「エスカレーター式に良くなる」と信じられたのは経済が右肩上がりの時代だけです。
右肩上がりの時代には「より良い学校」=「より偏差値の高い大学」、
「より良い会社」=「より給料の安定した企業」と皆が信じていました。

教員も「勉強しなさいよ」と言いやすかったはずです。
「いい人生を送りたいならいい学校を出るのが当たり前だ」と大部分の生徒が信じてくれたからです。

今はもっと事情が複雑です。

では、あなたは一教員として生徒にどんな将来設計を示せるんでしょうか。

教員が生徒に将来設計を示すのは難しい。


教員が将来設計を生徒に示すのは難しいでしょう。
唯一の正解は大人が持っているという態度で子どもに接しないほうがいいでしょう。

これまでに書いたように、単純なエスカレーター方式で将来設計を示すことはできません。

「これが正解だ」
「この生き方がいいに違いない」
と絶対的な価値観にこだわると生徒もあなたも苦しくなります。

この発想から抜けられなかったら、子どもは学校教育から離れていくでしょう。
不登校増加の原因も、「この先学校に行っても意味がないのかもしれない」という子どもたちの予感です。

では、あなたはどんな態度で子どもに接したらいいんでしょうか。

「この子はどんな場所で輝きたいのか?」本物の教育者は上質な問を持って生徒に接している。


どんな時代でも通用する教育者は本物の教育者です。

共通点は子どもに答えを押しつけないことです。
そして、子どもを伸ばすための「問」を持っています。

僕の尊敬する以前の同僚、憧れの教育者も「上質な問」を持って子どもと接していました。

「この子はどんな場所で輝きたいのか?」

問があるからこそ、子どもたちの人生を良くするための考えが生まれ行動に移せます。
そして「子ども自身が人生を選択していくためのお手伝いをしているんだ」という自覚があるから謙虚になれます。

この記事を読んでくださったあなたもまずは「上質な問」を持ってください。
考え方も行動も間違いなく変わっていきます。

まとめ


かつての学校の価値観が通用しなくなるほど社会の変化が激しいと書いてきました。
この時代に教員をしているあなたにこそ、本物の教育者になってほしいです。

今は学校教育の現場にいない私にできることは教員を励まし、勇気づけることです。
あなたにとって私の記事が役立ちますように。
心から応援しております。

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